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「スイスにインクジェットの街をつくる」iPrint 堂前美徳氏の挑戦

スイス・フリブール州を拠点とするインクジェット技術の研究所iPrintで、ただひとり日本人として活躍する堂前美徳氏。自ら主導するプロジェクトの構想、インクジェット技術の将来と、日本企業の可能性について語ってくれました。

「スイスにインクジェットの街をつくる」iPrint堂前美徳氏の挑戦
「スイスにインクジェットの街をつくる」iPrint堂前美徳氏の挑戦


インクジェットでできなかったことをできるように

iPrint西スイス応用科学芸術大学(HES-SO) 、フリブール州立のHEIA Fribourg校に所属する公的研究所で、インクジェット技術を通した、社会、経済、教育に貢献するイノベーションの創出をミッションとしています。

主たる事業は、インクジェット技術の応用研究(アプライドリサーチ)です。現在、インクジェットは主に平面への画像印刷で使われていますが、エレクトロニクス、3Dプリント、バイオメディカルなど、多方面の産業で利用を検討しています。

応用の可能性が見いだされても、現状の技術では不可能なこともあるため、インクジェットの技術自体を新たに開発することも重要な事業(イノベイティブテクノロジーズ)です。アプライドリサーチとイノベイティブテクノロジーズの組み合わせによって、従来の「インクジェットでできなかったことを、できるようにする」研究開発に取り組んでいます。そして、研究開発で得たイノベーションの成果は、企業とのコラボレーション、コンサルティング、開発サポート、評価などを通して、産業界に提供(テクノロジートランスファー)していきます。

また、研究所内にインクジェットトレーニングセンターが設置され、これからインクジェット事業を始める企業、既存技術の応用を検討する企業、同技術への知見をさらに深めたい企業が、基礎から技術を学べるコースを提供(エデュケーション)しています。修了後、自社の事業でインクジェット活用の可能性が判断されたら、アプライドリサーチなど具体的な開発プロセスへ進みます。

「過去5年間で、エデュケーションには25カ国から129社267名が参加しています。スポンサー企業も多く、日本企業からはプリントヘッドやインク等を提供するスポンサーとして、リコー、富士フイルムグループ、東洋インキグループ、などの企業が協力してくれています(堂前氏)」と、コースの充実度を強調します。

 

「インクジェットエコシステム」の構想とは?

「インクジェットの土台作りとなる技術開発に挑戦したいと考えていました。同時に、人づくりで産業界とつながり、日本企業に貢献したいという思いも。iPrintと自分のやりたことが合致していました」と、入所当時を振り返る堂前氏。セイコーインスツルでインクジェットヘッドの開発に取り組み、産業用インクジェットの最前線であるヨーロッパでさまざまな研究開発に取り組んだ後、スイスに渡りました。

iPrintでは、2年目に研究所のディレクターに選出され、自ら戦略を立て推進する立場に。そのひとつが、フリブール州の豊富な研究開発資源を生かした「インクジェットエコシステム」の構想です。

「元々、フリブール州のマルリーは紙の生産拠点があったこともあり、その後写真用紙やフィルム、添加剤、顔料、ポリマー、そしてインクジェット印刷用紙の研究開発と続いてきた地域で、印刷産業と密接な関係にありました。インクジェットペーパーで有名なイルフォード社などが、巨大な研究所を構えていたのです」と堂前氏。iPrint研究所は同社が撤退した跡地に設置され、現在ではエプソン社や産業用インクジェットのマーケム・イマージュ社、3Dプリンタの3Dシステムズ社などの企業が入居しています。そして「さらに多くの多様な企業に入居いただき、連携を強化したい(堂前氏)」とのこと。

この地に集まる世界中の企業とともに、世界に類のないインクジェットの街をつくるのが「インクジェットエコシステム」のアイディア。最先端のインクジェット技術に興味を持つ企業に、iPrintの人材や設備を提供。場合によって民間企業の協力を得ることで、少ない投資で、最初から高いレベルの研究開発ができる環境を構築します。

「コロナ禍で人と人の距離が遠くなり、近くにいてコミュニケーションすることが大事だと再認識されました。今こそ研究者がアイディアを出し合って、協力するときです(堂前氏)」。

 

コロナ禍で研究開発が加速した

堂前氏はiPrint以前に、日本で10年、フランスで5年、インクジェットの研究開発に取り組んできました。スイスとの環境の違いについて聞くと、「国や州のサポートが力強い」と即答しています。

日本など各国では、学界と産業界がしばしば切り離されますが、スイスでは国→学界→産業界というフローが確立している、と言います。政府は、産業に寄与する研究に対して手厚く研究機関を助成し、企業はその成果を迅速にビジネスに活かすことができるのです。その好例として、堂前氏はスイスの対コロナ政策を挙げ、「困ったところにお金を渡すだけではなく、長期的なビジョンで経済を支えました」と分析しています。

政府は、コロナで経営状況が悪化した企業に対し、研究開発の推進を支援するよう研究機関に指示しました。そして、その費用を国が援助する仕組みをとったのです。「『イノベーションで生きる』という政府の方針が明確だからでしょう。危機に際して、研究開発を無償で提供し、イノベーションを加速する投資に舵を切りました。実際にiPrintでも、この制度を活用した地元企業とともに5~6件の研究開発に取り組みました(堂前氏)」。

 

日本企業は新しいインクジェット技術に挑戦を

「現状でインクジェット技術を開発する企業は、自前でプリンター事業を持っている企業が多い」と堂前氏は指摘します。しかし、iPrintが研究開発を進めているように、3Dプリントや立体への印刷、ガラスのコーティングなど、多様な分野でインクジェットの活用が検討されています。

インクジェットのコア技術である平面におけるグラフィカルな印刷分野に対しては、製品としてのプリンター、そしてヘッドやインクといったコアとなる要素技術の領域で日本企業がシェアの上位を占めている現状です。しかしながら、ヨーロッパでは、3D印刷や機能性材料の印刷など製造プロセスとして組み込まれるデジタル生産装置としてのインクジェットの応用開発が盛んです。そのような産業用印刷分野においては、欧州企業が印刷装置で高いシェアを有しています。ヘッドやインクといった要素技術についてもそれぞれ個別に開発が進められており、近い将来そういった専門企業によってインクジェットのコア技術も欧州企業のシェアが拡大していくのではないかと、堂前氏は危惧しています。

「世界をガラリと変えるような、おもしろい技術がすでにでてきています。日本企業には、自社製プリンター開発やグラフィカル印刷の分野だけにとらわれず、他分野との共創や応用など、新しい手段での技術開発にも取り組んでほしいと思います。iPrintとフリブール州のインクジェットエコシステムを活用することで、今ある最先端技術を更なる境地へと推し進めることも可能だと信じています」と締めくくりました。

 

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堂前美徳(どうまえ・よしのり)氏
Director of Innovation & Technology, iPrint

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