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スイスという国のかたち② - 「良いものを高く売る」スイスの高付加価値戦略

前回よりリニューアルした磯山友幸氏のコラム「スイスという国のかたち」第2回。今回はスイスフラン高状況下の輸出産業の動きを、スイスの高級時計を例に解説しています。為替変動で市場が大きく揺れたとき、スイスのメーカーはどの様に対応し、競争を勝ち抜いていくのか。基盤となっている揺ぎない戦略とは何か。ぜひご一読ください。

 


「良いものを高く売る」スイスの高付加価値戦略

 スイスの中央銀行であるスイス国立銀行(SNB)が1月に突然行った政策変更によってスイスフランが一気に急騰する「スイスフランショック」が世界の為替市場を揺さぶった。それまで、対ユーロでスイスフラン高にならないように1ユーロ=1.2スイスフランに上限設定し、SNBが無制限の為替介入を実施するとしていたものを、一転して撤廃した結果である。これにより一時、1ユーロ=0.851スイスフランと1日で41%も上昇した。それ以降、スイスフラン相場は落ち着きを取り戻したとは言うものの、1ユーロ=1.05スイスフラン前後というスイスフラン高が定着している。
 15%近い通貨高になれば、輸出産業は大打撃を被りそうだ。輸出産業にとっては、自国通貨高になると、輸出代金として受け取る外貨の価値が目減りする。従来通りの利益を確保しようと思えば、海外で為替分の値上げをしなければならない。値上げをすれば売り上げが減ることになりかねない。
 スイスの代表的な輸出産業である時計を見てみよう。スイス時計協会がまとめているスイスから世界各国への時計輸出額の統計では、1月までは順調に増えていたものが、2月は16億8930万スイスフラン(約2000億円)と前年同月に比べて2%減少した。世界各国で底堅い高級品ブームが続いていることを考えると、為替変動の影響が輸出に影響を与えたと考えられる。
 それでは、時計メーカーはどう対応しようとしているのか。採算が悪くなっても従来の価格で売り続けるのか。 
 日本企業に置き換えて考えてみよう。これだけ一気に円高になったら輸出企業は軒並み業績が悪化し、赤字を出す企業も出て来る。国際競争に晒されている中で、そう簡単に値上げができないからだ。
 では、スイスの高級時計の場合はどうなるのか。日本国内の時計店に聞くと、輸入の高級ブランド時計は3月末までにほぼ価格改定を終えたという。つまり、軒並み値上げをしているというのだ。高級時計の場合、購入する顧客の多くは富裕層で、値段が上がったからと言って、それで買うのを諦める客は多くないという。スイス時計よりもドイツの時計の方が割安だからドイツ時計を買うという客は少ないのだ。それよりもブランド名や、デザイン、品質などで選ぶ人が多い。
 今、日本で高級時計が売れている理由のひとつは「資産効果」と呼ばれるもの。アベノミクスによる円安株高によって、株式を保有する富裕層の手元が潤った結果、それが消費に向かっているというのだ。日経平均株価が2万円を伺うところまで上昇している効果が大きいというのだ。
 スイス時計協会の日本向け輸出額データを専門誌「クロノス」の編集部が集計した価格帯別資料によると、2014年に最も日本の輸入数量が最も大きく伸びたのは、5000スイスフラン(60万円)~1万スイスフラン(120万円)の輸入価格帯だったという。伸び率は33.6%に達した。さらに1万スイスフラン以上も18.4%増えたという。
 2万スイスフランから2万5000スイスフランの価格帯の時計の輸入数量だけをみると前の年の1・5倍になったという。国内販売価格はおおよそ3倍とされるので、180万円~900万円の時計が売れたということを示している。
 高級品が中心というイメージの強いスイス時計だが、昔から高級品だけで勝負してきたわけではない。かつては世界の汎用時計の多くのスイス製が占めていた時代があった。ところがそこに日本の時計メーカーがクオーツを引っ提げて登場。汎用時計は猛烈な価格競争商品に変貌していった。
 長い伝統を持つ老舗の時計メーカーも経営が悪化し、スイスの時計産業は危機的な状況に追い込まれたのだ。
 そんな苦難のどん底からスイスの時計産業が復活した理由は「高付加価値戦略」を徹底したことにあった。つまり、価格競争はしない、という戦略である。ブランド価値を磨き上げることで高価格路線に転換、普及品もデザイン性の優れた製品を売り出すことで価格競争から逃れることに成功した。
 スイスフランショックが起きる前から、スイスは常に通貨高に悩まされ続けていた。輸出産業も価格競争にウエートをかければ、為替がスイスフラン高に触れた瞬間に、価格競争力を失ってしまうことを痛感してきたのだ。価格ではなく、ブランドやデザインで選ばれる製品を出し続けていれば、仮に為替がスイスフラン高に振れたとしても、値上げが通りやすい。
 スイスには今でも、機械メーカーや重電メーカーなどが生き残っている。世界で競合相手が何社もあるような汎用品を作っていれば、通貨高の中で会社が姿を消していたに違いない。だが、そのメーカーしか作れない圧倒的な技術力があれば、価格競争に陥らずに勝負ができるのだ。
 もう1つの主要産業である観光業も同じだ。日本から欧州に旅行に行く場合、通貨の強いスイスへの旅行が、周辺国に比べてかなり割高なのは間違いない。それでも、スイスを繰り返し訪れる日本人旅行者は大勢いる。それは、スイスにしかない自然や風土、文化などを求める人が多いからだ。もちろん、観光産業を支えるサービスの質が高いことも重要な要素だ。
 アベノミクス以降、円安は「善」というイメージが定着しているが、国力を考えれば通貨が強いにこしたことはない。だが、そのためには、安い労働力を使って、安くて良いものを大量に作り、それを海外に輸出する「発展途上国モデル」から脱皮する必要が出て来る。そのうえで、良いモノを高く売る「高付加価値型」経済へとシフトしていかなければならないのだ。日本がその道を目指すならば、スイスから学ぶことはまだまだたくさんあるように思う。



 

元日本経済新聞社 チューリヒ支局長 磯山 友幸(いそやま・ともゆき)氏
1962年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年~2004年までチューリヒ支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。早稲田大学大学院非常勤講師、上智大学非常勤講師なども務める。

 

 

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