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スイスという国のかたち⑤ - EUとの自由往来でヒト・モノ・カネを集めるスイス経済の強さ

磯山友幸氏のコラム「スイスという国のかたち」第5回。スイスがEUに加盟してないことは意外と知られていません。それは、加盟していないにも関わらず経済や国民の生活はEU加盟国同様に大きな障壁なく営まれているため、「EU非加盟」がむしろ目立たないからではないでしょうか。レストランのウェイターや通貨など、スイスでの何気ない日常にも様々な協定が背景にあり、日本でも話題になったマイナス金利もスイスでは既に2015年から実施済み。EUに加盟せずにEUと緊密な関わりを保ち続けるスイスの政策を、経済的な切り口で分析している今回のコラム。欧州のなかのスイスの位置づけを理解することで、日本企業にとってもスイスの有用性を再認識していただけることと思います。

 
EUとの自由往来でヒト・モノ・カネを集めるスイス経済の強さ
 

 チューリヒ市内の飲食店で働く外国人ウエイターやウエイトレスといえば、旧ユーゴスラビアからの出稼ぎや移民というのがひと昔前の相場だった。ところが最近、訛りのない流暢なドイツ語で接客する人たちが急速に増えている。それもそのはず、隣国ドイツからやってきたドイツ人たちなのだ。

 スイスは永世中立国のため、欧州連合(EU)には加盟していない。これまでにもEU加盟を問う国民投票が行われてきたが、国民の多数の反対で拒絶されてきた。もっとも、周囲をすべてEU加盟国に囲まれており、貿易相手としてはEUは最大の地域。実際にはEUとの間の相互協定によって緊密な連携を保っている。  その象徴が域内の人の移動の自由を定めた「シェンゲン協定」への加入だ。2004年にEUとスイスの間の相互協定の一環としてシェンゲン協定受け入れが合意され、2008年から施行された。それまでは国境を通過する際にパスポート検査が行われていたが、原則として行われなくなったのだ。人の移動に関してはEU加盟国と同様に自由になったわけである。  EUは域内の国境を撤廃して、ヒト・モノ・カネの移動を自由にすることを目的としている。加盟国ごとに違う様々な社会制度を少しずつ調整・統合して、ひとつの「国」へと変えて行こうというわけだ。その第1歩として合意されたのがシェンゲン協定で、2002年の通貨統合と並ぶ大きなステップだった。  EUには加盟せず通貨も独自のスイスフランを維持しているにもかかわらず、ヒト・モノ・人の移動は自由。こうしたやや変則なEUとの関係によって、スイス国内に「歪み」が生じている。その一例が冒頭のドイツ人ウエイターの増加なのだ。  移動の自由によって、ひとつの市場になれば、価格の違いは徐々に消えていく。EU域内のモノの価格はサヤ寄せされて似たような水準になってきたのだ。ライン川をはさんで向かい合うドイツとフランスの町でジャガイモの値段はほぼ同じだ。  もし片方の町で価格が大幅に高ければ、車で行って安い方を買う。国境は消えて日本の県境のような存在になっているうえ、通貨も同じユーロである。近接した地域で一物二価を維持することは極めて難しいのだ。  これは労働市場でも同じ。言葉の壁はあるものの、昔の国境を越えて仕事に通っている人もこの10年余で大きく増えた。つまり、同じ職種ならば賃金もドイツとフランスで極端に違うことがなくなったのである。  ところがドイツとスイスの場合は状況が違う。通貨がユーロとスイスフランに分かれているのだ。人の移動は自由になったが、経済が統合されているわけではない。しかもスイスフランはユーロに比べて強い通貨であり続けているため、EU市民からみると物価も給料も極端に高い。  スイスに国境を接するドイツやフランスの町に住む人たちからすれば、国境を越えてスイスに働きに行くことができれば、より高い給料を手にすることができることになる。実際、北部の主要都市バーゼルや西部のジュネーブでは、国境を越えて毎日通勤してくる人たちがかなりいる。  日々の人の移動だけではない。ドイツからスイスに移住する人たちも大きく増えているのだ。特に資産を持つ富裕層からすれば、通貨の価値が下落傾向にあるユーロ圏に資産を持つよりも世界最強と言われる強い通貨であるスイスフラン圏で資産を持つ方が有利。資産の目減りを防ぐことができる。  チューリヒ湖の周囲には高級住宅街が広がるが、ドイツ人富裕層の姿が目に付く。そうしたドイツ人富裕層が移住してくることで、不動産価格も上昇が続いている。チューリヒ湖を望むちょっとしたマンションなら、軒並み日本円で1億円以上はする。欧州で抜きん出たスイスの強い経済が、ヒト・モノ・カネを吸い寄せているのである。
   日本では今、日本銀行が発動したマイナス金利政策が話題だが、スイスではひと足先に2015年1月からマイナス金利が実施されている。スイスの中央銀行であるスイス国立銀行(SNB)に国内の商業銀行が当座預金を預ける際にマイナス0.25%の金利を付けたのだ。当座預金に預けると金利が付くのではなく、逆に手数料を取られるわけだ。欧州経済が減速する中で、資本がスイスフランに集まるのを防ぐのが狙いだった。スイスフランが過度に高くなるのを防ぐ効果はあったとされるが、SNBは、さらにマイナス幅を拡大する姿勢も見せている。  一方でマイナス金利の導入によって、スイス国内の住宅ローン金利も大きく下落しており、これによって不動産投資に拍車がかかっている。住宅需要の増加によってさらに不動産価格が上昇するというサイクルが起き始めている。  強いスイスフランは、輸出産業にとっては痛手だが、通貨高による輸入品価格の下落など生活コストを押し下げている面もある。スイスとEUの間には自由貿易協定があり、EUからの輸入量は増加傾向にある。もちろんスイスフラン高によって交易条件が有利になっていることも背景にある。  もっとも、こうしたEUからのヒト・モノ・カネの流入が摩擦を生んでいるのも確かだ。2014年2月にスイスへの移民を規制すべきだとする案が国民投票にかけられ、50.3%の賛成という僅差で可決された。  欧州での移民というと、昨年来急増しているシリアなど中東からの難民流入が思い浮かぶが、移民規制可決の直接の引き金はEUからの移民増加だった。ドイツからの移住者は当然のことながらドイツ語を話すため、仕事を奪われかねないという危機感を感じる国民が増えたためだとされる。仮に移民受け入れの国別割当制などを導入した場合、EUとの間で合意しているシェンゲン協定の思想と真っ向から対立することになりかねない。  EUとスイスの間の自由貿易協定は、シェンゲン協定があって初めて効果を発揮する。EUとの強い絆があるからこそ、スイスに欧州本社などを置く外国企業が増えてきたのだ。米国企業などがスイスに本拠を置いたのは、スイスが経済的政治的に安定しているからだけではない。欧州事業の「主戦場」であるEUへの扉が完全に開かれていたからだ。
   日本もスイスとの間で2009年に自由貿易経済連携協定(FTEPA)を締結。一部の農林水産品を除くすべての製品での関税撤廃に合意している。日本とEUの間でも交渉が続いており、年内にも合意を目指しているが、難航している。そんな中で、日本企業にとってもスイスの有用性が高まっているのだが、これもスイスとEUの間の太いパイプが前提になっている。   元日本経済新聞社 チューリヒ支局長 磯山 友幸(いそやま・ともゆき)   1962 年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年~2004年までチューリヒ 支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。 早稲田大学大学院非常勤講師、上智大学非常勤講師なども務める。

 

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