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スイスという国のかたち④ - スイス国民は「移民排斥」には同調しない 移民が国を発展させてきた歴史の重み

磯山友幸氏のコラム「スイスという国のかたち」第4回。今回はスイスの繁栄と移民の関係について、歴史的および社会的背景を踏まえて解説されています。世界的にニュースとして取り上げられることが多くなっている移民問題。スイスでは2014年2月に移民規制強化の国民イニシアチブが可決され、一見には「移民排斥」の傾向が強まっているかのように見受けられますが、はたして実情は如何に。 国籍を問わず優秀な人材の雇用がスイスのビジネス環境の魅力のひとつでもあり、スイス拠点設立を検討する外国企業にとって今後も注目すべきトピックです。


 


スイス国民は「移民排斥」には同調しない      移民が国を発展させてきた歴史の重み 

 スイス・チューリヒのバーンホフ通りを歩いていると、世界の様々な言語が耳に飛び込んでくる。もちろんスイスでは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つが公用語になっているということもあるが、英語やアラビア語、ロシア語、中国語などが頻繁に耳に飛び込んでくる。おそらく通りを歩く人の半数が外国人に違いないと思われるほど だ。
 もちろん、観光客も少なくないが、ビジネスのためにこの町で暮らしている人も少なくない。仕事を目的にやって来て、そのまま住み続け、永住権を取ってしまうという光景も珍しくはない。国に有用な人材は積極的に受け入れるというのが、伝統的なスイスの方針だったからだ。

 スイスは先進国の中では最も古くから移民を受け入れてきた国だ。最もよく知られるのが17世紀にフランスから移ってきた新教徒ユグノーの話だろう。新教徒を敵視したルイ14世が、新教徒に一定の信仰の自由を認めていたナントの勅令を取り消し、非合法化したことで、彼らは国外移住を決断。スイスにも多くの新教徒が移住した。彼らの中の時計職人がフランス国境に近いジュラ山地に移り住んだため、今のスイスの時計産業の基盤ができた。
 また、北部のバーゼルに化学品や医薬品の産業が栄えているのも、宗教的に迫害された商工業者が移住してきたことがきっかけになった。スイスの経済的な発展と移民は、切っても切れない関係があるのだ。

 2014年でスイスの人口は823万人にのぼるが、そのうち外国人の定住者や短期の労働者は24%に達する。居住者の4人にひとりが外国人なのだ。さらに、スイス人でも1世代前、2世代前に移民として移り住んだ子孫まで合わせると、移民を背景に持つ人たちは人口の過半を占めているとみられる。
 そんな移民大国スイスで驚くべき国民投票が成立したのは2014年2月のこと。右派のスイス国民党が提出した外国からの移民を国別に人数制限する案が50.3%の賛成という僅差で可決されたのだ。これを受けてスイス連邦政府は移民規制の法制化に着手している。
 欧州は今、シリアなど欧州連合(EU)域外からの大量の難民問題に頭を抱えている。だが、スイスがこれまでの方針を覆して移民の門戸を狭くしようとしているのは、また別の事情がある。実は、EUとの関係が大きいのだ。

 スイスはEUには加盟していないが、EU内の人の往来の自由を認めるシェンゲン協定に加わっている。このため、EUからスイスに移住する人が急増したのだ。中でもドイツからの移住者が大きく増えていた。ドイツ人からすればスイスは税率が低いうえ、金融業などの仕事に就けば所得は高い。さらに言葉が通じるメリットもある。そんな移住者にスイス人の雇用が奪われている、というのが移民規制派の主張だった。
 もともとスイスはスイス内の企業と、きちんと就業契約を結んだ外国人の受け入れには寛大だった。人口が少なく、潜在的に労働力が足らないスイスは、自国経済に必要な人材は積極的に受け入れてきたのだ。逆に言えば、外国人の労働力なしに、もはやスイス経済は成り立たなくなっている。移民の受け入れ規制には経済界や都市部の有権者は反対している。
 右派の政治家の中には、移民の受け入れを一気に絞り込むべきだという主張もあるが、そうした声に同調するスイス人は少ない。それが証明されたのが昨年末に行われた国民投票だった。移民の規制をさらに厳格化して、年間の移民受け入れを人口の0.2%に抑えることを提案したのだ。この提案が通れば、年間8万人程度ののぼっていた移民を一気に1万6000人にまで減らさなければならなくなる。
 この国民投票の結果は反対74%という圧倒的大差で否決された。つまり、移民を受け入れるな、という主張には、今でもスイス人は同調していないのである。
 それでも2014年2月の国民投票が可決されている以上、連邦政府は規制強化に向けた法律を2017年までに作らざるを得ない状況にある。国民投票の内容を法律にしようとすれば、EUにも割当枠を設けざるをえなくなる。そうなれば、シェンゲン協定から離脱せざるを得なくなり、経済関係が密接なEUとの間に決定的な亀裂が生じてしまう。
 そんな中で、最近になってEUとの間で妥協を図ろうとする動きが強まっている。もともと国民投票を提案した国民党の中からも、現実的な提案を新たな国民投票の形で出し直す考えが浮上している。
 EUからの移民はスイスのためになっているーー。そんな研究結果も発表された。スイス都市協会がまとめたもので、2002年から2008年までの経済成長を3.2%押し上げ、スイスの諸都市やスイス全体にとってる効果があったというのだ。

 資源の乏しい山国スイスが世界を代表する経済大国のひとつに発展できた要因のひとつは有能な人材が多かったからに他ならない。その一翼を諸外国からの移民が担っていたのは間違いない。そんな歴史的事実を持つスイスの国民だけに、単純な移民排斥ムードが盛り上がることは今後もないと見て良さそうだ。

 

元日本経済新聞社 チューリヒ支局長 磯山 友幸(いそやま・ともゆき)

1962 年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年~2004年までチューリヒ 支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。 早稲田大学大学院非常勤講師、上智大学非常勤講師なども務める。

 

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