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スイスという国のかたち① - 「州や自治体ごとに違う税率が競争力の源泉」

「スイス在住を経て - スイス滞在経験を持つ日本人にインタビュー」として多くの方にスイス滞在経験を語っていただいた磯山友幸氏のコラムは、今回よりリニューアルいたします。「スイスという国のかたち」と題して、スイスという国を特に経済面において磯山氏の視点で鋭く、でも、わかりやすく解説していただきます。
第1回は「州や自治体ごとに違う税率が競争力の源泉」。気になるスイスの税制について、日本とは異なるシステムとその特長を、様々な例を踏まえて説明されています。ぜひご一読ください。

 

 

州や自治体ごとに違う税率が競争力の源泉


 スイスは直接民主制の国として知られるが、それが最も特長的に現れているのが税制だろう。国の取り分である連邦税のウェートは小さく、州や地方自治体の税の割合が大きい。しかも、税率決定などに自治体の大幅な自主権が認められている。本当に必要な公共事業があれば、住民合意の上で税率を引き上げるが、逆にそんな無駄は削ってしまえとなれば、税金が安くなることもあり得る。国税の割合が圧倒的に大きく、それを地方に再配分している中央集権国家の日本とはまったく思想が異なる。
 例えば所得税。州や自治体ごとに税率が異なる。例えば20万スイスフラン(約2000万円)の所得がある州都に住む既婚で子供のいない人の所得税(州税、自治体税、宗教税の合算)の税率は、最も低いのがスイスの中央部にあるツーク州の10.04%。一方で最も高いのは西部にあるヌーシャテル州の23.71%だ。州によって2倍以上の開きがあるのだ。
 首都ベルン(20.53%)や経済の中心地チューリヒ州(16.68%)、国際機関の集まるジュネーブ(19.60%)など大都市はおおむね高めの税率なのに対して、スイスアルプスに抱かれた地方の過疎地域はおおむね税率が低く設定されている。
 これは、山間部の州や自治体が低税率を武器に高額所得者を引き寄せようという戦略が具体化したものだ。低税率に魅力を感じた大金持ちが移住してくれば、所得税率が低くても税収自体は大きくなる。税収を増やそうとする場合、税率を引き上げれば良いと考えがちだが、州や町として税収を増やすために税率を引き下げるという逆転の発想を取っているのだ。
 ツーク州の税率の低さは世界的に有名で、欧州の高い税率に苦しむ高額所得者の間では、ツークに移住しようとする人が少なくない。実際、最近では高税率に不満を抱くドイツ人が、スイスのドイツ語圏に移住するケースが急増している。
 もっとも、スイスの場合、移住して定住権を獲得するには自治体の人々の賛成などが必要なケースが多い。どんな人柄や職業の人でも稼いでいるのなら歓迎というわけではないところも、スイスの特長だろう。
 著名な投資家で自らプライベートバンクを創設した富豪はチューリヒ湖を望む高台に広大な社屋兼屋敷を構えている。だが、チューリヒ湖の南側で、属するのはシュヴィーツ州。所得税率はチューリヒなら16%を超えるが、シュヴィーツは13%を下回る。収入が巨額なだけに、この3%の違いは大きいのだ。
 所得税だけでなく、法人税も同様に州ごとに税率が異なる。連邦税は一律7.8%(実効税率)で、これに州税・自治体税として4.4~16.4%が加わる。さらに資本税(0.001%~0.53%)も存在する。企業誘致に積極的な州は税率を低く抑えることで、企業に立地を検討してもらおうとするわけだ。これは所得税率を引き下げているのと同じ理屈である。
 高額所得者を優遇するばかりではない。例えば独仏と国境を接するバーゼル市州の場合、所得20万スイスフランの場合は20.98%と比較的高税率なのに対して、所得5万スイスフランの場合は0.76%と極めて低く抑えている。ちなみに5万スイスフランの税率はチューリヒで3.88%、ベルンだと5.28%である。比較的低い所得層の人たちを優遇しているのだ。どの所得層の税率を優遇するかは州や自治体ごとの人口構成や産業構造といった事情が、事細かく反映されているわけだ。
 税率を低く抑えているのはスイス中部の州が目立つ。1291年に、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州が同盟を組み、ハプスブルク家に対峙したのがスイス建国の起源とされる。この時代の話はウィリアム・テルの伝説としてスイス人の心の中に生き続けている。「原初3州」と呼ばれるスイス中央部の地域は自立志向が強く、連邦政府の関与を嫌う。独自の税率設定にこだわるのもこのためだ。
 地域によって税率を変えるのは不公平だという意見が出て連邦内の税率を統一するという提案が出たこともあるが、国民投票によって圧倒的な多数の州の否決により、この制度は続いている。
 こうした税率の違いが州や自治体に競争を促している。税率の高低だけでなく、住民サービスの良し悪しなどに納税者の厳しい目が注がれる。州や町の境を越えるだけで税率がまったく違うから、それによって居住地を選ぶと言う動きも出て来る。
 スイスの大手銀行はこうした州ごとの税率の違いなどを一覧表にしたパンフレットを毎年作成し、顧客に配布している。それを見れば税率の違いが一目瞭然なのだ。
 日本では国がいったん税金を吸い上げ、それを地方交付税交付金の形で地方に再分配している。都道府県税などは地域によって若干増減させられるルールになってはいるが、ほとんど違いが出ない。スイスのような自由度はない。
 この結果、地域間の財政格差は小さくなったが、逆に、納税者が自分自身の自治体を支えているという意識が大きく欠如する結果となった。日本でも「地方創生」が掲げられ、地方の自立が一段と重要になっている。スイスに習って地方に税率の大幅な決定権限を与えてみるのも1つの方法かもしれない。

 

 

元日本経済新聞社 チューリヒ支局長 磯山 友幸(いそやま・ともゆき)氏
1962年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年~2004年までチューリヒ支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。熊本学園大学招聘教授なども務める。

 

 

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