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スイスという国のかたち⑦ - 先端技術で世界の研究者を引き寄せるスイス

磯山友幸氏のコラム「スイスという国のかたち」第7回。企業立地としての魅力のひとつとして欠かすことができない要素として挙げられるのがイノベーション環境。スイスを代表する工科大学は、産学交流を盛んに行い、強いイノベーション力を培ってきました。歴史ある「IBMチューリヒ研究所」から本年初開催の「サイバスロン」まで、スイスのイノベーションが発揮されている事例と、その揺るぎない基盤が構築された背景を解説しています。世界規模で発展を目指す企業のみならず、革新的な技術とアイデアを駆使したスタートアップ企業などにとっても、研究開発に携わる人材確保は最重要事項に含まれることでしょう。研究開発拠点候補地としてのスイスの可能性をぜひご検討ください。

 

 

先端技術で世界の研究者を引き寄せるスイス

 資源に恵まれないスイスでは昔から「人」こそ財産という気風が根付いている。小学校教育から大学まで、積極的に投資を行ってきたが、それが最先端の科学技術を花開かせ、同国の競争力につながっている。
 そのひとつの拠点がチューリヒ工科大学(ETHZ)である。英タイムズ・ハイヤー・エデュケーションの世界大学ランキング(2016-2017)では、9位にランクインした。工科大学系では、2位のカリフォルニア工科大学、5位のマサチューセッツ工科大学(MIT)に次ぐ。ちなみに、このランキングで東京大学は39位、京都大学は91位である。

 チューリヒ工科大学は正式には、スイス連邦工科大学チューリヒ校という。フランス語地域のローザンヌにも姉妹校であるスイス連邦工科大学ローザンヌ校があり、こちらはフランス語の頭文字をとってEPFLと呼ばれる。
 チューリヒ工科大学は1855年に創立され、当初から欧州各地の優秀な人材を集めてきた。ドイツ人であるアインシュタインの出身校としても知られる。卒業後は希望したにもかかわらず、助手として大学に残ることができなかったとされるが、後年、教授に就任した。このほか、チューリヒ工科大学はこれまで21人のノーベル賞受賞者を輩出している。

 チューリヒ工科大学の最大の特色は、積極的に産業界との交流を行ってきたこと。いわゆる「産学交流」で大きな実績を上げてきた。そうした大学との連携を狙って、スイス国内に最先端の研究所を置く世界的な大企業も少なくない。
 その代表的な例が米IBMのチューリヒ研究所。スイスで60年の歴史を持つ同研究所が世界のナノテク・ブームの基礎を作った。ナノ・テクノロジーは1ナノメートル(10億分の1メートル)級の構造を扱う技術で、かつてIBMが主導したコンピュータの小型化に大きく貢献した。科学技術の進歩には今やなくてはならない技術である。
 そのIBMチューリヒ研究所とチューリヒ工科大学は緊密な連携関係にある。2011年には「ビーニッヒ・ローラー・ナノテクノロジーセンター」という共同の研究施設をオープンさせた。ビーニッヒとローラーはいずれも、走査トンネル顕微鏡の発明で1986年にノーベル賞を受賞したIBMチューリヒ研究所の研究員の名前である。
 また、ナノ・テクノロジーは複数分野にまたがるため、材料科学分野の横断的な研究所として「スイス連邦材料試験研究所(Empa)」を、連邦工科大学の一部門として持っている。この研究所では、エネルギーや建築技術、生命工学、医療技術分野など幅広い分野で応用できる技術の開発が進んでいる。

 ナノテクノロジーだけではない。2016年に話題になったのが「サイバスロン」である。最先端の技術を駆使して開発された義手や義足、電動車いすなどを用いた第1回の国際大会が、チューリヒ工科大学の企画・主催で開催された。
 最先端のロボット工学や生物機械工学技術などを活用、人間の力を補助するパワード・スーツなどの開発につなげる、実践的な場としてチューリヒ工科大学の教授が構想した。
 スイスも日本同様、高齢化が深刻な社会問題になりつつある。サイバスロンに関する技術は障がいを持つ人たちのためだけでなく、高齢者のサポートや介護職員の補助といったニーズの高い分野の技術開発につながっていく。

 連邦工科大学の組織の中には、産学連携を進めるために「技術移転」を積極的に行うためのサポート組織「ETHトランスファー」がある。1990年代から、大学で生まれた研究成果の活用や技術移転の必要性が叫ばれるようになり、大学内に設置された。企業と共同研究した場合、その成果として生じた知的財産権の帰属などが大きな問題になる。それを未然に防ぐための研究協定などをサポートする。また、チューリヒ工科大学の発明した技術の特許管理や産業界へのライセンス供与などを技術移転に関わる手続きを組織的に行っている。
 スイスには、技術・イノベーション委員会という組織がある。かつては経済教育研究省の傘下だったが、現在は政府からは独立した組織として運営されている。この組織の役割は応用研究や基礎研究を産業に橋渡しする研究への支援を行うことだ。

 スイスには多くのグローバル企業が欧州本社を置くなど、ヨーロッパの中心拠点として位置付ける例が増えている。グローバル化に対応する多言語でのコミュニケーションが可能な人材の採用が容易なことが大きな理由だ。
 これは研究開発分野にも当てはまる。企業が先端的な技術を開発しようとすれば、世界から一級の研究人材を集めなければならない。IT(情報技術)分野で米国のカリフォルニアに研究所を持つ日本企業が増えているのも、こうした理由だが、欧州の先端技術の集積地となるとスイスが群を抜いている。
 また、チューリヒとローザンヌの連邦工科大学が積極的に企業との共同研究や研究成果の移転に取り組んでおり、最先端の学問的な知見も、企業の研究に取り入れることが可能だ。
 さらに研究者にとって重要な生活環境も申し分ない。知的生産には自然環境に恵まれた豊かな生活が不可欠だが、チューリヒ周辺にせよ、ローザンヌ周辺にせよ、自然環境に恵まれているうえ、都会的、文化的な生活も享受できる。欧米の研究者にとっては、そうした「クオリティ・オブ・ライフの高さ」が、スイスのひとつの大きな魅力になっている。

 

 

元日本経済新聞社 チューリヒ支局長 磯山 友幸(いそやま・ともゆき)   1962 年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年~2004年までチューリヒ 支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。 早稲田大学大学院非常勤講師、上智大学非常勤講師なども務める。
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